2017年3月6日月曜日

洲外は何処


このブログ、俳句創作のために作ったが、なかなか活用されていない。
時々は何か書き込まねばなるまい。
今月の題
(1)「天文」から「別れ雪(雪の別れ、名残の雪、雪の果て、忘れ雪なども可)

(2)「時候」から「麗(うらら)か、うらら」

(3)春の季語を自由に

(1)の別れ雪だが、
 涅槃雪とも言うらしい。旧暦月2月15日。この日に釈迦が入滅、つまり亡くなったということで、「涅槃会(ねはんえ)」となった。このあたりによく降るので涅槃雪というのだそうな。今年は3月12日がそれにあたる。そしてこの日が仏滅になるようだ。
然るにいくつかの仏教宗派についてみると、たとえば臨済宗総本山東福寺では「3月14日は、旧暦2月14日にあたります。涅槃会は全国のお寺で執り行われている行事であり、東福寺では通常非公開としている「大涅槃図」を御開帳し本堂にて法要を執り行なっています。」としているが、3月14日は旧暦2月17日で計算間違いなのはご愛敬か。
 真言宗総本山御寺泉涌寺でも3月14日と16日に涅槃会を設定している。一方、同じ真言宗でも智山派照光寺では新暦の2月15日に行っている。日蓮宗も新暦で実施し、翌2月16日が宗祖日蓮の誕生日となっている。
 季語として考える場合、旧暦2月15日、つまり今年なら新暦3月12日に降る雪が涅槃雪となるのだろう。
 そう言えばイルカの「名残雪」はこの雪のことであったか。

難病の母見舞ひしや別れ雪

 記憶の中にある別れ雪はいつも春に休みをとつて母の見舞ひに行つた記憶である。
 奇妙なことに親たちの晩年がいつ頃であつたのか思ひ出しにくい。北海道の父が亡くなつたのが2014年の11月19日。これは死去ネットに登録してゐるから、いつでも思ひ起こせる。一方で、母、宗像に来ていただいた妻の両親。いづれも正確な没年の記憶があやふやなのである。もちろんそれに付随しての見舞ひの記憶も、だ。何しろ父の没年ですら先ほど「一昨年の」といつたん書いてしまひ、死去ネットを調べて慌てて書き直した次第である。
 宗像に妻の両親を呼んだのは、たしか僕が教授になつた年だつたと記憶しているから(確認)1997年の事ではなかつたか。そのころ北海道の両親はまだ「面倒を見る」ような課題は抱へては居なかつた筈である。父は脳梗塞で左半身が不如意ではあつたが、日常生活に支障はなかつた。母のパーキンソンも然りであつた。
 いや、まあいい。親たちの没年についてはきちんと調べ直しておくことを今後の課題としやう。
 ただ、記憶にあるのは札幌の勤医協中央病院に母が入院していた頃の記憶だ。あれは股関節か何かの手術ではなかつたか。その頃は両親は札幌に引つ越してをり、勤医協病院は歩いていけるところにあつた。ちよつと先に中学時代の恩師も住んでいたので訪ねていつた記憶もある。
 今から14,5年前のことだつたのだらうか。雪の残る春の気配の中で病院まで娘と母の見舞ひに行つた記憶が妙に懐かしい。あの頃の母が幾つだつたか。思へばもうすぐ僕はその歳になるだらう。母との歳の差23。もうその半分以上は過ぎているのだから。
 うむ。年表を作つておかなくては。

(2)は麗らね、
 春と言えば、年度替わり。学校で言えば卒業式やら入学式が麗らかな日と重なるイメージだ。僕自身について記憶するところでは小学校の入学の日は雪解けのぐしやぐしやした黒い道の記憶だ。
 それはいい。取り敢へず置いておこう。
 ずつと学校という場所で過ごしてきたので、毎年、卒業式と入学式を見てきた。そのほとんどは大学。高校の卒業式はなかつたので、自分自身の体験は小学校と中学校のみ。あとPTAの役員として参加したものや評価委員などをしていて呼ばれて参加したものもある。
 まあ、いづれも人生の大きな転換期になる日なのだ。卒業式のなかつた高校の記憶も、卒業式がなかつたがゆゑに記憶にとどまつていると言へるのかもしれない。ややこじつけた感がないでもないが。
 殊に卒業式は人生の分かれ目だから、中学生や高校生も自分の若気にけじめをつけるときでもあるのだらう。

学ランが手持ちぶさたに春うらら

(3)か。自由といふのがむつかしい。

冴え返る気は張り詰めて入試かな

春と言えば入試。この日はいつも緊張感が漂う。やつらもふだん勉強しておけば、緊張することもないのに、と思ふが、我が身を振り返れば、「あはは」か。